寄り添うということの難しさ

こんにちは。くろまりです。今日は「寄り添う」ということについて書いていきたいと思います。

「寄り添う」という言葉がどこから出てきたのか?

私はおむつなし育児アドバイザー養成講座を受講して、おむつなし育児について勉強したのですが、そこではよく「寄り添う」という言葉や「排泄に心を寄せる」という言葉が出てきます。

反対の意味としては、「排泄から心が遠のく」という言葉を用いられています。

これは、「おむつを履かせていると、親が子どもの排泄事情に関心を持ちにくくなる」つまり「おむつを履かせていると、子どもがおしっこやうんちをしているか気に留めづらくなる」という文脈で出てきた言葉です。

これを聞いたときに納得をして、私自身はそれからは子どもがおむつを履いていても、なるべくおしっこをしているか関心を保っておく努力をしています。

おむつなし育児が自己満足で終わっていないだろうか?

昨日までの4連休中も遠出をしなかった我が家では、1日中このようなスタンスで「おしっこやうんちをしたら教えてね」「おしっこをしているか、おむつを見せて」(ほとんどの場合、おむつを見せてくださいとお願い口調)と声をかけ続けていました。

「子どもがおむつにおしっこをしているのか?」と常に目を光らせておくことと、おむつの中について折を見て詮索をするということは正直なところ、根気のいる作業です。

連休を振り返ってみて、果たしてこのような姿がおむつなし育児で目指されている「寄り添う」ということなのだろうか?ということがふと疑問に出てきました。

排泄を通じたコミュニケーションという点を大事にしたおむつなし育児を考えるのであれば、「寄り添う」ということは、もっと根本的なところに目を向けるべきなのではないだろうかと考え始めました。

「寄り添う」という言葉について

この疑問の出発点は、私自身が無意識に「寄り添う」という言葉に2つの意味を持たせているところなのかもしれません。

「寄り添う」・・・①排泄事情に関心を持つということと ②人の気持ちを理解しようとする、察する

この①と②が混在しているが故に、②を行いたいが①を実施しているということがあったのかもしれません。

あるいは②をしたいけれどもできない、勇気が無いから①を行うことで②を行ったことにしているという可能性もあると思います。

次回以降はもう一度講義を振り返り、「寄り添う」ということについて具体的に考えていきたいと思います。

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